9月13日から15日の三連休をフルに使って
南アルプスの主峰「北岳」から「農鳥岳」をめぐる「白根三山縦走」に行ってきた。
メンバーは新旧精鋭取り混ぜ7名。天気は3日とも奇跡的に晴れた。
富士宮を4時出発、奈良田バス停からジャンボタクシーで「広河原」に向かう。
奈良田にはバス待ちの登山者が大勢、乗れない者も多数出たとの事で気の毒。
広河原7時10分出発、大樺沢二俣9時20分、
ここから右俣コースで「小太郎尾根分岐」に上がる。
夏シーズンには「シナノキンバイ」で埋め尽くされる東斜面は
今は黄色くなった「コバイケソウ」が埋め尽くしている。
11時25分分岐に着き「昼食」をとる。
雄大な「仙丈ヶ岳」の上空には秋の「雲と青空」が広がって爽快である。
「北岳」山頂に向かう頃山梨県側から湧き上ったガスが山頂を覆ってきた。
山頂13時28分。周辺はガスに覆われ展望はないが大変なにぎわいだ。
北岳山荘までの下りはザレ場が多く注意が必要だ、
しかし登山道脇にはまだまだお花や草紅葉が群生し楽しませてくれる。
小屋14時35分着。宿泊名簿を出して受付をするが
1時間たっても受付名簿が溜まるだけで動きがない。
部屋に入れたのは4時過ぎ。1時間半も肌寒い外で待たされる羽目になった。
宿泊者数に対し「部屋割り」がまったく出来ていないようだ。
他の山小屋の部屋割りの仕組みを是非勉強して欲しいものだ。
しかし我々はまだ幸運かもしれない。
我々が眠りにつこうとしていた7時過ぎ
やっと部屋が決まり部屋に案内される者など実に気の毒としか言いようがない。
しかも食事はまだとのこと。
さて開けて14日、朝から快晴だ。今宵の宿「大門沢小屋」を目指す。
6時30分小屋を出発する。
中白根山、間ノ岳と越えていく3000メートルの稜線歩きは実に爽快。
農鳥小屋に差し掛かると小屋の主が和製英語を混ぜて「しゃべりく」まくっている。
意味は「この人数」が押し掛けたら「大門沢小屋」には絶対止まれないぞ。
と言っているようだ。
確かに途切れることのない登山者の数は大変な数で
その不安はあるがそんなに煽り立てる事もないだろうに。
うるさいのでとっとと小屋を後に農鳥岳に向かう。
「西農鳥岳」は小さなピークで人がいっぱい。
「農鳥岳」手前では「北アルプス」のような岩稜帯が出てくる。
最後のピークを越え「大門沢下降点」に下る。
ここには遭難で亡くなった息子の御両親が建てたと言う
立派な黄色の三角塔があり先端に付けられた指示版が「大門沢」を指していた。
しばらく下ると樹林帯に入りここからは「悪路」と言っては失礼、「難路」がどこまでも続く。
丸太橋で何度か沢を渡り1時53分「大門沢小屋」に着く。
受付をするが小屋の主の不機嫌そうな「顔」はいったい何を語っているのだろう。
「俺たち歓迎されていないようだな」と
他のグループの一人が言った言葉が全てを物語っているようだった。
しかし扱い方しだいで「いいおやじ」にもなりえる面白い主だった。
労山カードで「シャワー」の無料など美女の一押しが効果を発揮したようだ。
我々と同じころ到着した「若者グループ」は
主からこのまま奈良田に下るよう言われていた。
下るには十分の時間があるからで遅く着いた者には下れとは言えないからだろう。
お陰で寝床もほどほどのスペースが確保できた。
この小屋は北アルプスなどには無い特徴があちこちにある。
その一「恐怖のトイレ」、その二「夕食、朝食ともに4時半からの一回」、
その三「ビールは一人一本まで」、そして「美女の押しにチト弱い主」かな。
最終日15日、朝食が早いのでする事がない。
予定を早めて5時50分明るくなったので出発する。
奈良田発電所の取水口までは沢を何度も渡る。
8時30分奈良田の駐車場に到着。
「奈良田の湯・女帝の湯」で垢と汗を流し13時富士宮に到着。
三日間の面白かった白根三山の山行は終了した。