2015年08月24日
将棊頭山~木曽駒ケ岳
伊那市の桂小場口から木曽駒へ登った。今回の目的は2つ。
1つはロープウエイを使わずに木曽駒ケ岳へ登る。
もう一つは「聖職の碑」にお参りすること。(大正2年の8月26日~27日に
地元の尋常高等小学校の集団登山で総勢37人が遭難し11人が亡くなっている。
それを基に新田次郎が「聖職の碑」を書き、映画にもなった。
事故現場の将棊頭山に「遭難記念碑」があることを知り、一度行ってみたいと思っていた。)

8月22日(土)午後3時頃富士宮を出発。食料を調達しながら伊那市の小黒川キャンプ場へ向かった。
ネットでは台風等の影響で道が崩れ、キャンプ場から先は車では通行できないとあったが、
既に工事は終わり登山口まで車で行く事ができた。(午後6時頃着)
あまり広くはない駐車スペースに既に5台の車が止まっていたが、それほど苦労せずに駐車できた。
簡易トイレが1つ。ペーパーもあり、まあまあきれいなので良かった。
いつものように車の中でささやかな宴会をやってシュラフに潜り込む。
翌23日(日)、4時起床。ゆっくりと支度をして5:20出発。
一応ヘッデンをつけたが辺りはだいぶ明るくなってきていた。私たちが出発する頃続々と車が到着。
小屋泊まりの人、トレランの人、将棊頭山までの日帰りの人など様々。
胸突の頭までは樹林帯だった。一日中秋の花を見ながら歩いた。
樹林帯ではフシグロセンノウ、ヤマホトトギス、アキノキリンソウ、セリバシオガマ、クロトウヒレンなど。
高度が上がるとヤマハハコ、チングルマの綿毛、トウヤクリンドウ、リンドウ、ミヤマリンドウ、
ウサギギク、オオヒョウタンボクの実、キオンなどが多くみられた。
登山口から2時間半ほどの所にある大樽避難小屋には携帯トイレの使用ブースと回収ボックスがあっ
た。とても清潔な状態。しかも携帯トイレ(防臭袋つき)も無料で使う事ができる!?!





西駒山荘横の水場には冷たい水が豊富にあった。コマクサもピークは過ぎていたが
たくさん咲いていた。将棊頭山の山頂に立ったがあいにく展望無し。
しかし、時折ガスの切れ目からちらっと見える稜線の眺めの見事なこと。





ここから先は木曽駒ケ岳へ続く稜線歩きとなる。なだらかなアップダウンを進むと
巨石が点在する広い場所に出た。その中に「遭難記念碑」と彫られた大きな石があった。
「聖職の碑」だ。いろいろな思いを込めて手を合わせた。
頭の上に青空はあるが雲はもくもく。ガスが山肌を隠したり現したりしている。
大きな展望はないが行く手と来た道を時々確認できる。
8合目(濃ヶ池との分岐)辺りから頂上までは岩場の急登。すごく長く感じた。
が、足元の花々が疲れを癒してくれた。疲れたので頂上山荘に泊まるつもりだったが、
やっていなかった。ベンチで休んでいた人の話では予約のある時だけやるそうだ。
結局、中岳を越えて宝剣山荘に泊まった。歩きはじめから10時間!! 疲れた~~。
受付では「混んでますよ」と言われたが、1部屋に4人。(私たちと同世代の夫婦。
空木まで縦走するそうだ。)手足を伸ばしてのびのび寝た。



24日(月)、天気予報は曇りだったが予想外の素晴らしい日の出。


縦走組は朝食を済ませると早々に出発したが、私たちは下るだけなのでゆったりと過ごし
6時半出発。まず駒飼の池を目指して下る。ちょっと下って振り返ると
白い山肌に草花の緑が映えて胸がすくような光景。
さらに秋の花々を愛でながら下っていく。駒飼の池は小さな川を堰き止めたような場所だったが、
水は冷たく透き通っていた。更に下っていくと濃ヶ池。こちらは水量も多いので
周りの山が水面に映っていた。辺りはお花がいっぱい。ここからは稜線の分岐まで登っていく。








分岐からは来た道を帰った。上空は青空だが眼下は真っ白。でも、稜線上は晴れていたので
秋の花を楽しみながら歩いた。西駒山荘のベンチでコーヒーブレイク。水場で水筒に冷たい水を
補充して先に進んだ。





昨日の日曜日は行き交う人で賑わったコースだが、
月曜日のためか誰にも会わない。(登山口に近づいたところで2人連れを追い越したのみ。)
ぶどうの水でも水分補給。なにしろ冷たくて美味しいんです。下山すると車は他に1台だけだった。
車で数分の所にある伊那名物の行者蕎麦を食べ、伊那市内の大芝の湯で汗を流して帰った。
<コースタイム>
8/23(日) 桂小場口5:20・・・西駒山荘11:00~15・・・遭難記念碑11:55~12:00・・・
8合目12:30・・・木曽駒ケ岳14:20~30・・・宝剣山荘15:15(泊)
8/24(月) 宝剣山荘6:30・・・駒飼の池6:50・・・濃ヶ池7:35~40・・・8合目7:55・・・
西駒山荘8:40~50・・・桂小場口12:00==行者蕎麦==大芝の湯==富士宮16:20
1つはロープウエイを使わずに木曽駒ケ岳へ登る。
もう一つは「聖職の碑」にお参りすること。(大正2年の8月26日~27日に
地元の尋常高等小学校の集団登山で総勢37人が遭難し11人が亡くなっている。
それを基に新田次郎が「聖職の碑」を書き、映画にもなった。
事故現場の将棊頭山に「遭難記念碑」があることを知り、一度行ってみたいと思っていた。)
8月22日(土)午後3時頃富士宮を出発。食料を調達しながら伊那市の小黒川キャンプ場へ向かった。
ネットでは台風等の影響で道が崩れ、キャンプ場から先は車では通行できないとあったが、
既に工事は終わり登山口まで車で行く事ができた。(午後6時頃着)
あまり広くはない駐車スペースに既に5台の車が止まっていたが、それほど苦労せずに駐車できた。
簡易トイレが1つ。ペーパーもあり、まあまあきれいなので良かった。
いつものように車の中でささやかな宴会をやってシュラフに潜り込む。
翌23日(日)、4時起床。ゆっくりと支度をして5:20出発。
一応ヘッデンをつけたが辺りはだいぶ明るくなってきていた。私たちが出発する頃続々と車が到着。
小屋泊まりの人、トレランの人、将棊頭山までの日帰りの人など様々。
胸突の頭までは樹林帯だった。一日中秋の花を見ながら歩いた。
樹林帯ではフシグロセンノウ、ヤマホトトギス、アキノキリンソウ、セリバシオガマ、クロトウヒレンなど。
高度が上がるとヤマハハコ、チングルマの綿毛、トウヤクリンドウ、リンドウ、ミヤマリンドウ、
ウサギギク、オオヒョウタンボクの実、キオンなどが多くみられた。
登山口から2時間半ほどの所にある大樽避難小屋には携帯トイレの使用ブースと回収ボックスがあっ
た。とても清潔な状態。しかも携帯トイレ(防臭袋つき)も無料で使う事ができる!?!
西駒山荘横の水場には冷たい水が豊富にあった。コマクサもピークは過ぎていたが
たくさん咲いていた。将棊頭山の山頂に立ったがあいにく展望無し。
しかし、時折ガスの切れ目からちらっと見える稜線の眺めの見事なこと。
ここから先は木曽駒ケ岳へ続く稜線歩きとなる。なだらかなアップダウンを進むと
巨石が点在する広い場所に出た。その中に「遭難記念碑」と彫られた大きな石があった。
「聖職の碑」だ。いろいろな思いを込めて手を合わせた。
頭の上に青空はあるが雲はもくもく。ガスが山肌を隠したり現したりしている。
大きな展望はないが行く手と来た道を時々確認できる。
8合目(濃ヶ池との分岐)辺りから頂上までは岩場の急登。すごく長く感じた。
が、足元の花々が疲れを癒してくれた。疲れたので頂上山荘に泊まるつもりだったが、
やっていなかった。ベンチで休んでいた人の話では予約のある時だけやるそうだ。
結局、中岳を越えて宝剣山荘に泊まった。歩きはじめから10時間!! 疲れた~~。
受付では「混んでますよ」と言われたが、1部屋に4人。(私たちと同世代の夫婦。
空木まで縦走するそうだ。)手足を伸ばしてのびのび寝た。
24日(月)、天気予報は曇りだったが予想外の素晴らしい日の出。
縦走組は朝食を済ませると早々に出発したが、私たちは下るだけなのでゆったりと過ごし
6時半出発。まず駒飼の池を目指して下る。ちょっと下って振り返ると
白い山肌に草花の緑が映えて胸がすくような光景。
さらに秋の花々を愛でながら下っていく。駒飼の池は小さな川を堰き止めたような場所だったが、
水は冷たく透き通っていた。更に下っていくと濃ヶ池。こちらは水量も多いので
周りの山が水面に映っていた。辺りはお花がいっぱい。ここからは稜線の分岐まで登っていく。
分岐からは来た道を帰った。上空は青空だが眼下は真っ白。でも、稜線上は晴れていたので
秋の花を楽しみながら歩いた。西駒山荘のベンチでコーヒーブレイク。水場で水筒に冷たい水を
補充して先に進んだ。
昨日の日曜日は行き交う人で賑わったコースだが、
月曜日のためか誰にも会わない。(登山口に近づいたところで2人連れを追い越したのみ。)
ぶどうの水でも水分補給。なにしろ冷たくて美味しいんです。下山すると車は他に1台だけだった。
車で数分の所にある伊那名物の行者蕎麦を食べ、伊那市内の大芝の湯で汗を流して帰った。
<コースタイム>
8/23(日) 桂小場口5:20・・・西駒山荘11:00~15・・・遭難記念碑11:55~12:00・・・
8合目12:30・・・木曽駒ケ岳14:20~30・・・宝剣山荘15:15(泊)
8/24(月) 宝剣山荘6:30・・・駒飼の池6:50・・・濃ヶ池7:35~40・・・8合目7:55・・・
西駒山荘8:40~50・・・桂小場口12:00==行者蕎麦==大芝の湯==富士宮16:20